2006年 01月 28日
「水文学」――水は環(まわ)る |
雨となり、地下を走り、川となり、上水に姿を変え、人を潤し、下水となり、海へ流れ、大気に昇り、雲となり、雨に還る…水ほど「循環」という言葉が生き生きと、イメージ豊かに伝わるものはないのかもしれません。その水の循環をテーマとした「水文学」という学問分野があることを知ったのは、議員になってからのことです。昨日、27日に区役所で開催されたまちづくり講座「都市型水害を考える」は、いわばこの「水文学」的まちづくり論に触れる、とてもよい機会となりました。
突然襲ってくる洪水も、恨めしい下水の氾濫も、ヒートアイランドや集中豪雨や渇水さえも、ひとつ視点を変えると、水循環の破綻、閉塞、アンバランスの結果にほかなりません。そして、水循環をゆがめる大きな要因となったのが、ほかならぬ「まちづくり」、つまり都市化であった――講師の木内豪先生のお話は、乱暴に要約するとこんな内容だったかな…。
緑や地面そのものが毎日のように姿を消していく様を見て感じる、不安な気持ち。蛇口から出る水ではなく、豊かな自然の中にある川や海を見たときに感じる、なんともいえない落ち着き。「水」は、人の命そのものかもしれません。
この日の講座には、都市整備部や土木部の職員が多数、参加していました。主催者の一部であるとはいえ、夜間のこと。企画・進行する区民の皆さんのしっかりした運びと合わせ、水循環を生かしたまちづくり、あるいは水循環に沿ったまちづくりに、とても大きな期待と課題を見つけた気がしました。
突然襲ってくる洪水も、恨めしい下水の氾濫も、ヒートアイランドや集中豪雨や渇水さえも、ひとつ視点を変えると、水循環の破綻、閉塞、アンバランスの結果にほかなりません。そして、水循環をゆがめる大きな要因となったのが、ほかならぬ「まちづくり」、つまり都市化であった――講師の木内豪先生のお話は、乱暴に要約するとこんな内容だったかな…。
緑や地面そのものが毎日のように姿を消していく様を見て感じる、不安な気持ち。蛇口から出る水ではなく、豊かな自然の中にある川や海を見たときに感じる、なんともいえない落ち着き。「水」は、人の命そのものかもしれません。
この日の講座には、都市整備部や土木部の職員が多数、参加していました。主催者の一部であるとはいえ、夜間のこと。企画・進行する区民の皆さんのしっかりした運びと合わせ、水循環を生かしたまちづくり、あるいは水循環に沿ったまちづくりに、とても大きな期待と課題を見つけた気がしました。
by ikejiriseiji
| 2006-01-28 21:36
| 緑・まちづくり