カテゴリ:雑感( 84 )

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久しぶりに、本当に久しぶりに「川」に入りました。
川、といっても、街中を流れる小さな川です。普通なら、膝までもないくらいの浅い川。それでも、この川が貴重なのは、練馬区の中に源流を発し、そして練馬区の中で湧き出る湧水を唯一の水源とした川だからです。
東京の23区に、川の源流がある。それも、湧水が造る川。私の故郷、筑後川の荒々しくときに無人な姿に比べれば、かわいらしくもあり、いや矮小でさえあり。しかし、処違えば、川が持つ価値もまた大きく違ってきます。そうそう、この川は「白子川」と言います。白子川は、練馬やその周辺の水環境や水循環の貧しさと豊かさを見事に指し示す象徴的な指標でもあるのです。
かつて、白子川は豊かな湧水に支えられた清流でした。高度成長のころ、川は汚水にまみれました。その後、下水が整備されるにつれて川はきれいになりましたが、宅地化が進んで湧水は減り、他方、洪水対策が優先されて河川はコンクリートの三面護岸に覆われ、川面ははるか下、川は身近な存在ではなくなってしまいました。
長い時間をかけて、地域の粘り強い努力があって、川は再び暮らしのそばに近づき、人々は、川に親しむすべを思い出し、そして、私たちの暮らしと命をささえる水の、巡り、環りゆく姿に私たちの注意が向くようになってきました。そうしてこそ、今、やっと川に降りられるようになった自分がいます。
白子川のいくつかのスポットには、川辺に降りられる親水性の護岸、緩傾斜の護岸が整備されています。比丘尼橋の護岸は、なかなか大規模。しかし、この護岸に降りていく階段には、フェンスが設置されています。川に降りるためには、行政が管理する鍵を借りなければなりません。鍵を開けよう、と思い立ったのは、実は地元の小学校の子どもたちでした。若い担任の教師の熱意に促されて、子どもたちがみずから川に関わろうと動き出し、その動きに誘われて、私も川に入ることになったのです。この子どもたちの動きが、また、うれしい。
せっせとごみを拾う大人たちの横で、子どもたちは小さな魚やかわいいザリガニに喚声を上げ、その喚声は、護岸のツタ陰を這い上る蛇を見つけて悲鳴に代わります。なんともささやかな「自然」の体験ではありますが、こうして都市は人間性を取り戻していくのだと思い知るのも事実です。
水文学という言葉があります。水を通して世界を見る。大きく言えば、そんな学問です。そういえば、万物の根源は「水」だと喝破した人が、古代のギリシャにいましたっけ…。
(下の写真、ごみ拾いのbefore&after。きれいになりました!)

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by ikejiriseiji | 2017-07-20 22:04 | 雑感 | Comments(0)
年末、築地で買い求めてきたマグロの味を堪能しつつ、元旦が過ぎました。年明け、最初の投稿です。
私が生まれたのは、「戦後は終わった」と言われた年。後から知ったことだけれど、自民党が誕生した年でもあります。それからもう、60年を超えました。
「明治100年」なんて話がマスコミをにぎわしていたのは小学生のころだったか。60年はもちろん70年の「安保」にも遅れてしまった世代は、それでもテレビで大々的に報じられる労働争議や街頭のデモがまだ一つの日常であった時代の空気を吸って育ってきました。戦後の民主主義の行き詰まりと退廃はあちこちに顔を出していたけれど、それでも、市民、労働者が世の中を作り動かしているという実感が、確かにまだありました。遠い昔、です。
希望よりも不安、確信よりも不信の気配を感じつつ、何とも言えぬ感慨とともに20世紀の終わりを見届けたかと思ったら、はや17年。功罪の評価はともかく、20世紀の時代と思想を深く規定したあのロシア革命から、ちょうど100年の年になってしまいました。
社会も経済もそうであったかもしれませんが、ここ20年くらいは、閉塞感と停滞感が否応なくのしかかってくる、そんな実感が年とともに募ってきました。権力――経済的なそれにしろ、政治的なそれにせよ、あるいは文字通りの暴力にせよ、権力というものの壁の厚さをひしひしと感じます。議員という世界にいるからか、その感覚は具体的でリアルですが、だれもが漠然とではあれ、そう感じているはずです。
民主主義は遠くなりました。私たちは、「主権者」としての実感をはるか彼方に置き忘れてきました。代議制民主主義は、国民主権を適切かつ効果的に実現する機能をとうに失い、むしろ政治と市民社会のかい離・分裂の一つの歯車にさえ成り下がって見えます。権力が巨大であることそれ自体よりも、その権力を統御し抑制していくことへの絶望と無力が、ことの深刻さを際立たせます。
練馬という小さな世界で、一人の議員のかすかな力ではあれ、私は精いっぱい踏ん張ってきました。それでも、人々を覆う空気はフラストレーションに染まり、出口のない孤立感とやり場のない苛立ちは、乱暴で安易な“Break-Through”(ブレイクスルー)にすがる、アナーキーな心情を呼び寄せているように感じます。道理や、謙虚さや、寛容さが大切にされない、そして人のつながりと支えあいが信頼されない辛い時代です。
怖い。そう感じることが、多くなりました。皆さんはどうでしょう。
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そんな時代に、抗って立つ。年の初めに、あらためて自分に言い聞かせます。昨年も、区政の場で、たくさんの課題を拾い、たくさんの議論をし、たくさんの行動を起こしました。一つ一つは小さくても、貴重でいとおしいたくさんの出会いとつながりを見つけてきました。負けるのは嫌です。屈するのは、まだ早い。もうかなりの時間、生きてきたけれど、そして一歩進んだかと思うと二歩三歩と押し返されるそんなたたかいが続いてきたけれど、まだやれることはある。本当の勝負はここから。
私や市民の声ねりまに期待と関心を向けてくださっている皆さん、ありがとうございます。がんばりましょう。2017年を、よい年に!

by ikejiriseiji | 2017-01-02 02:26 | 雑感 | Comments(0)

“アベノミクス”のこと

新年ですから、とかく景気の良い話が聞こえてきます。ある知人の話です。

投資信託に手を出したのは、2008年の春だったかなぁ…。手元に少しばかり貯金がたまったんだけど、とにかく利子がつかない。利率がほとんど0だから当然だけど寂しいもので、普通預金口座を開いている銀行から投資の勧誘を何度か受けたこともあって、やってみるかと。400万はなかった。たぶん380万円くらいが元本だったと思う。そしたら、直後の9月のリーマンショック。株が暴落し、投資残高は元本をどんどん割り込んでいく。正直、青くなったね。銀行の人からは「投資信託は長く残して分配金を得ていくのが大事ですから」と慰められたけど、こんなことになってもだれも責任は取らないからね。残高は、一時は240万を切った時もあった。4割近くも“資産”が消えてしまって、なんだか投資の世界のリアルな厳しさに触れたような気もしたよ。ところが、流れが変わったのは安倍サンが首相になってから。株価が戻すのと歩調を合わせるように投信残高の時価評価額もぐんぐん回復し、とうとう今は360万を超えた。ほとんど元本を取り戻した気分だよ。分配金は預金利子よりずっといいし、“アベノミクス”様様だね…

ここ2年ほどの日本経済のトレンド、いわゆる“アベノミクス”が呼び起こした「好景気」の実態は、こんなものなのでしょう。活況を呈しているのは株式市場。膨らんでいるのは金融資産。そして、潤っているのは「投資家」。
例えば、昨年末、こんなニュースが流れていました。
「野村総合研究所は18日、2013年の純金融資産保有額別世帯数と資産規模の推計結果を発表した。それによると、純金融資産保有額が1億円以上5億円未満の「富裕層」および同5億円以上の「超富裕層」の世帯数は計100.7万世帯となり、2000年以降のピークである2007年を10.4万世帯上回った。」

     ➡「アベノミクスで恩恵を受けたのは…"富裕層"と"超富裕層"が100万世帯超える」
     ➡野村総研のプレス発表は こちら

“アベノミクス”による景気回復の実態と政権の政治基盤のありようが、とてもよくわかる数字です。
新年度の税制改正や予算編成の方向が報じられ、安倍政権の経済・財政政策の骨格が見えてきました。よりあけすけに、よりピッチを上げて進みつつあるのは企業家利得、個人資産の増加と「活用」…一言でいえば、“資産家経済”“配当生活者国家”への転換です。
現代では、「資産家」は決して「実業家」ではありません。「資産」利益を守ることと、現実経済を調整し活発にすることは、決して同一ではありません。資産家を潤し、一握りの「富裕層」を膨らませても、経済自体がかつての高度成長の時代のように生命力を取り戻し、生産の拡大=資本の蓄積が進んていくことはないでしょう。市場の拡大と競争が生産力の拡大を促し、生産の増強のための投資が利益を呼び、利益がまた投資につながる。そんな時代は、もう過去のものです。“アベノミクス”による株高も、結局は有り余る通貨と低金利が生み出したバブルのようなものであり、きっといつかどこかで、弾けてしまいそう。きっかけはたとえば深刻なインフレか、あるいはもしかしたら戦争か…。世界も、私たち日本人も、いつか経験してきた道です。
利益の確保を動機とし、生産力の拡大を歴史的な使命とした資本主義の経済がいくらかでも順調にいき、国民全体に利益を及ぼしているように見えた時代は終わりました。行き詰ってしまった経済の基本をそのままに“資産バブル”を追い求めるこの国の姿は、退廃と衰退への道を歩んでいると思えてなりません。 年の初め、少し背伸びして大きな絵を描いてみました…。

by ikejiriseiji | 2015-01-08 17:25 | 雑感 | Comments(0)

2015年、始まりに

2015年が、明けました。
この正月、事情があって慌ただしい帰省を組み、その帰りに、わずかな時間ですが倉敷に立ち寄りました。
キーンと冷えた空気の向こうに、よどみのない青の空。素敵な街並み、白壁の蔵町の風情もだけれど、その街並みを大切にしていることが伝わる空気もまた心地よし。そして、大原美術館。これだけのコレクションを私的に収集し提供した大原家への興味…。行きも帰りもハードな行程。それでも、選挙準備に追われてきた毎日からちょっとだけ離れることのできた正月になりました。
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さて、2015年。未(ひつじ)は、私の干支です。だからどうということもないのですが、節目の年齢、ということになります。昨年の区長選への挑戦は、私にとって、政治を志して以来の大きな決断でした。当選かなわず、区政の転換も果たせず、悔しく申し訳ない結果ではありましたが、心は折れず、しっかりと前を向き直すこともできました。政治の変革にかける思いを励まし一つにする人たちの存在がどれほど“政治家”を育て支えるか、あらためて教えられた思いです。
今年4月の区議会議員選挙は、私たちの新しいチャレンジの始まりです。20年以上前、選挙に向き合った最初の頃の思いを新しく描きなおしながら、広く深く、政治を問い直す声を呼び起こしていきたいと思っています。

このブログも、その一つのカンバスに。美術館を訪ねた余韻、洒落をお許しあれ。

by ikejiriseiji | 2015-01-03 02:47 | 雑感 | Comments(0)

2013年、八丈島から

 ちょっとしたきっかけで、八丈島で年を越すことになりました。
 初めての訪問です。同じ東京都の島(町)なのですが、ほとんど予備知識もなく小さな観光スポットといったイメージが先に立っていました。もちろん、観光は今この島の大切な“産業”であるのですが、しかし訪ねてみると、それだけではありませんでした。
 面積約72㎡、人口が8,000人をわずかに超えるというこの島の暮らしは、華やかな豊かさとは縁遠いものでした。比較的に温暖な気候の一方で、東京本土から300㎞近くも離れ、さらに火山が生んだ島ならではの土地の貧しさもあるのでしょうか、厳しい暮らしが続いてきたことをしばしば感じさせられました。でも、この島には歴史があります。そして、人の息遣いも。
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 そのことを強く感じたのは、旅の最後に訪れた歴史民俗資料館でした。1939年に建てられた支庁舎の建物をそのまま使っているというこの資料館、建物自体が国の登録文化財です。ほんとうに古い平屋の建物、よく残しているものだと思いますが、この建物には小さな島の歴史が詰まっています。
 八丈島には、縄文時代の遺跡があります。これは驚きでした。資料によると、今の関東だけでなく、近畿、あるいは北陸からも人や技術が伝播してきたとのこと。その後、いったんは住人は途絶えたようですが、再び多くの人が住まうようになったのは江戸時代、この島が「流刑」の島となってからのこと。流刑で八丈島に移り住んだ人は1,900人に上るとされています。最初の公式の記録のある流刑囚は、関ヶ原の戦いで石田側に付いた宇喜多秀家。流刑囚には秀家のような武将や“知識人”も多かったらしく、たとえば流人が伝えたといわれる絹織物「黄八丈」などのように、それはそれでこの島の歴史に一つの色を添えているのですが、もちろん流人はそうした人たちばかりではなかったでしょう。流刑の島が社会と生業を維持していくことに少なからぬ苦労を強いられたことは、容易に想像できます。
 資料館に陳列されていた資料は、宇喜多秀家にまつわるごく一部を除けば、本当に貧しい庶民の暮らしと文化そのものです。けれども、たとえば釣糸をなう道具も、ツバキ油を搾る機械も、たくさんの古い土器も、縄文時代の人骨すらも、なんだかとても強いメッセージを発していました。島の自然と歴史の厳しさが鍛えた、そんな強さです。
 ちっとも飾るところのない資料館の風情は、少しだけ触れることのできた島の人たちの気風とも重なり合って、この島がたどってきた歴史の重みを感じさせてくれていました。老いた母を連れての訪問でしたから、とてもじっくりと、とはいきませんでしたが、でも好きになりました。資料館も、そして島も。

 今日1日、島の南端近くにある湯屋から初日の出を見ました。残念ながら、太平洋の水平線に接してたなびく雲間からの朝日でしたが、それもまたよし。これからの1年には、むしろふさわしい。この私のブログをご覧下さっている皆さん、新年おめでとうございます。良い年にしましょうね。
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by ikejiriseiji | 2013-01-01 23:45 | 雑感 | Comments(0)
 こんなコメントが届きました。
 脱原発に向けて、あんなにたくさんの署名活動やデモが各地で起こっているのに、何もないかのように再稼動になりました。国民の声や行動はなにも汲んでもらえないのですか?
 誰に言えば声は届くのですか?
 私の周りでも、本当に必死の思いで首相官邸前に駆けつけ、あるいは都議会に足を運んでいる方がたくさんいます。たとえ首相が「再稼働」を決めたと言い張っても、たとえ知事が都民投票を求める都民にひどい言葉を投げつけても、動かないではいられない思いはほんとうによくわかります。やれることを、さいごまでやり切るしかありません。

 それでも今、私たちは、忍び寄る強い失望感と閉塞感を自覚せずにはおられません。「誰に言えば声は届くのですか?」と。
 どれだけ響く答えになるのかわかりませんが、私は、政治の回路をつなぎなおしたいと思っています。私たちを被う閉塞感の最大かつ直接の責任は、政治にあります。原発だけではありません。消費税にしてもそうです。豹変し、変節し、国民の声に対して耳をふさいだ政治家の責任を問い、けじめを迫るための政治の回路が必要です。
 私は、政権交代のために、民主党の候補者を応援しました。民主党が「玉石混交」であり、その中からしっかりと前に進む力と政治が育つことを信ずると、そう語ってきました。しかし、政権は後に何も残らないほどに精神的政治的に崩壊し、民主党の中から「玉(ぎょく)」はなかなか結晶してきません。国民の前にしっかりとした選択肢を示すために、議員の一人として何ができるのか。しっかりと考えなければならないと思っています。
 来年は都議選と参議院選があります。衆議院選も、今年か来年には実施されます。ここで政治が豊かな選択肢を示すことができなければ、この国の民主主義は本当に危機に瀕するとさえ感じています。
by ikejiriseiji | 2012-06-18 10:54 | 雑感 | Comments(1)
 火曜日の企画総務委員会で、「区立施設建築安全調査報告書」についての報告がありました。区立学校で建築基準法が求める完了検査の検査済み証がない、従って完了検査が適正に行われていなかったという問題が明るみに出て、全庁を挙げての調査と検証が続けられてきました。その報告書です。
 結論だけかいつまんで言えば、対象となった区立施設846棟のうち631棟で完了検査の検査済み証なし。さらに、民間建物の建築確認にあたる計画通知の確認すらないものが112棟もありました。詳細はまた機会を見つけて触れたいと思いますが、とにかく、行政が法に基づく義務を適正に執行していなかったケースが山と出てきたのですから、驚くべき事態です。
 しかし、今日触れたいのは、この報告書を記者発表するにあたって出された区長のコメントです。こちらです。
 短いコメントですから、ぜひ直接、読んでみてください。このコメントには、おわびの言葉がありません。法を守らせるべき立場にあるにもかかわらずみずから法を逸脱する行為をしてしまったこと、しかも大量に行ったこと、そしてそれが施設を利用する区民の安心と安全を脅かしかねないものであったこと…わびてしかるべき事件です。しかし、区長の口からは、ついにおわびの言葉は出てきませんでした。区長はこう言っただけです。
 今般、建築基準法に定める手続の不備が、小中学校その他の区立施設において数多く判明したことは極めて遺憾であります。
 おかしいよな…なぜ「遺憾」なの? 遺憾、という言葉は、自分ではなく他者の行為について、しかもそれが間違っていたとか悪かったというよりはむしろ残念だった、口惜しいといった意味で使われる言葉です。なぜ「遺憾」なの? 法を守らずに建築してしまった建築主はあなた、区長です。そして、法を守らせるべきであったにもかかわらず、かくも大量に見逃してしまった建築基準法の特定行政庁にあたるのも、あなた区長ではありませんか。
 区長は、この問題の当事者です。最終的に責任を負うべき主体です。なぜその区長が、「遺憾だ」と言ってすませられるのでしょう。私には理解できません。
 光が丘病院の先生たちを侮辱する言葉が問題になったときもそうです。区長は、みずから謝ったり、言葉を正そうとはしませんでした。政治的な立場は違っても、私もまた、区長を区の代表として戴く一人です。とても、残念です。

     ➠区立施設建築安全調査報告書は、こちらから
by ikejiriseiji | 2012-02-16 00:55 | 雑感 | Comments(0)

新しい年

 暦が替わり、三が日も終わり、4日は仕事始め。正月も休みなく仕事をしている人、正月も、いや正月こそ仕事を探している人も少なくないとはいえ、けじめの始まり。本年もどうぞよろしくお願いします。

 昨年は光が丘病院問題に関わって、一気に20年余の歳月をさかのぼったような気持ちに何度かとらわれました。医師会立病院が破たんし、その後の病院再建のあり方や手法をめぐって激しい議論が区民の中でも区議会でも繰り広げられた21年前、1991年。あのときが、私の最初の区議会議員選挙でした。
 91年の初挑戦から、選挙に出ること、昨年で6回目となりました。3回続けて落選し、今度落ちたらもうあきらめろと皆から言われ自らも言い聞かせて臨んだ2003年の選挙で初当選。それからでも、9年になります。91年の選挙で初当選し、今期で6期を重ねた議員も何人かいらっしゃる。当選落選は雲泥の差とはいえ、同じ時期に区政を見つめてきたという意味では私ももう“ベテラン”の部類かもしれません。
 そんな中での光が丘病院問題。私の選挙、いや区政に対する関わりの原点の一つでもある21年前が鮮やかに脳裏によみがえって、どこか痛切な感情にとらわれます。そうだ、こうやって自分は挑戦を始めたんだ。そんな思い。この20年あまり自分に何ができたのかという、そんな思い。悔いも反省も、なんど繰り返したことか。ささやかな勝利の経験を押し流すような無数の敗北を幾度、重ねたことか。
 でも、20年も一つの道を歩き続けると、歩いてきた道を振り返れば一つの軌跡がはっきりと見て取れるものです。そして、その中で今の練馬区政を見つめ返すとき、私は本当に深刻な思いに駆られます。区政は、今、確実に劣化している。歪んでいるとか間違っているとか、それだけではなく、エネルギーや弾性を失い、枯れ、涸れてきている…。区の理事者の中にも、ここに来てずいぶん顔触れが代わってきているとはいえ、この20年の区政を肌で感じてきた人はたくさんいます。そうした皆さんは、今をどう感じているのだろう。
 練馬区政は、本当に、立て直されなければなりません。国の政治全体がそうであるように、主権者であるはずの市民は、みずからの力で、閉塞感と無力感を一掃しなければなりません。2012年、挑戦は続きます。がんばらねば。
by ikejiriseiji | 2012-01-03 23:14 | 雑感 | Comments(0)

木曽路で

b0017546_15533152.jpg ずっと以前、『夜明け前』で初めて知った木曽路の宿、馬籠を訪ねています。一人暮らしになった九州の母を連れ出しての旅、走り抜けた一年のそのまたあわただしい年の瀬に、少しだけ気持ちをリセットさせてもらいたいという思惑を重ねてやって来ました。

b0017546_15541992.jpg よいところですね。尾根にまっすぐ向かうような細く急な中山道、その東は妻籠の宿。本当に小さな額を寄せ合うように重ねられた棚田、「水が乏しいところでねぇ」という宿の主。明治の大火で宿も、この地で生まれた島崎藤村の生家も焼けたと言っても、それから100年の歴史をしっかりと伝える家々。木曽という地域の歴史も地勢もほとんど頭に入っていませんが、町並みと家並みの風情、包み込むキーンと冷たい空気…辛さと寒さを耐える優しさのようなものを感じます。藤村のイメージが、後か先か、無理なく重なってきます。
by ikejiriseiji | 2011-12-31 15:57 | 雑感 | Comments(0)

仕事始め

 役所は明日が仕事始め。今年は、民間の会社も多くは4日からでしょうか。

 議員は、どこからどこまでが仕事なのか判然としないところがありますが、忙しく動いているという点では年末年始もありません。忘年会や新年会をはしごする方も多いでしょうし、初詣の寺社に顔出しする方もいます。支持者に年始のあいさつ回り、というのもよくあるパターンです。
 私も、久しぶりにまとまった時間が取れるので、お世話になった方々をお訪ねしてみました。天気が良いのが何より、陽が当たると寒さも感じずにすみます。何より、温かい励ましの言葉を頂くと、本当にホッとするものです。
 それでも、交わす会話の端々に、区政の課題、地域の課題が顔をのぞかせます。宿題もたくさんもらいました。さて、気合だ気合…!
by ikejiriseiji | 2011-01-03 23:08 | 雑感 | Comments(0)

練馬区議会議員・池尻成二


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