旧態依然…

 失礼ながら、こういうのを「旧態依然」と言うんじゃないでしょうか。
 七日にあった「東京都道路整備事業推進大会」(道路大会)のことです。都下の区市町村が主催し、各自治体の議員が動員され、国会議員、都議会議員が居並び、国土交通省や東京都の道路セクションの責任者が「講師」を勤める。議会で割り当てが決められており、私も出席しましたが、さながら道路事業促進のための首長・議員あげての決起大会です。
首都東京を再生し、災害に強く活力ある社会にするためには、…道路の整備こそが最大の課題であり、最優先すべき施策…(大会宣言)
 必要な道路がまだまだあること、道路交通の利便に限らない道路の役割と課題があることは、わかります。しかし、道路作りだけが特別扱いされるような時代ではありません。道路づくりは、まちづくりの一部。そして、まちづくりはたくさんの政策課題のひとつです。誰の目から見ても財政が厳しいおり、道路こそが「最優先すべき」などというのは思い上がりとしか思えません。
 それなのに、この道路大会は、まるで道路財源を確保するための陳情大会です。特にこの日は、「道路特定財源を守れ!」の大合唱。ちょうど小泉首相が道路特定財源の一般財源化を指示したと報じられた直後だけに、その光景は異様でした。財政全体、施策全般を見渡す責任ある「政治家」としての視野も責任感も、私には感じられませんでした。
 しめくくりは「万歳三唱」。ほんと、これじゃ小泉さんからも“守旧派”“抵抗勢力”と言われるよ…。さすがに、我慢強く座っていた私も、もう居たたまれなくなってしまいました。自民党や公明党の議員の皆さんの表情にも、どこかしらけた空気が感じられたのは思い過ごしでしょうか。
 バスの借り上げ代や会場費など、小なりとはいえ公費も使われているイベントです。道路大会、もうやめましょうよ。
# by ikejiriseiji | 2005-11-09 17:55 | 緑・まちづくり | Comments(0)

図書館の「委託」計画

 昨日7日は区議会の文教委員会。図書館カウンター業務の「委託」にむけて、11月21日号の区報で委託業者の募集を始めるという「報告」がありました。
 私は、正直、怒りました。委託をやめてほしいという区民の陳情の審査の途中なのに、なぜ“見切り発車”のように公募に入るのか。議会軽視もはなはだしい、ときつい調子で発言せずにはいられませんでした。委員会は、この問題は大切だから、早期に審査をして結論を出そう、とずっと言ってきました。9月の委員会でかなり突っ込んだ議論をし、次回審査の時には一定の結論を出せるだろう、出すべきだと私だけでなく多くの委員が思っていたはずです。たとえば次回、11月末の委員会での審査を待ってから公募に入るくらいの節度、慎重さ、議会と区民陳情への謙虚さが、なぜ、教育委員会にはなかったのでしょうか。
 8月に、私は、区が考えている委託に向けたスケジュールを確認しました。そのとき光が丘図書館長は、「おおむね年内には区としての方針を決めて、委託業者の選定等に入りたいというふうに考えております。」と答弁したのです。私は、この答弁、このスケジュールを尊重しようと思いました。それは、区の行政権限に対する一つの敬意であり、配慮でもありました。しかし、「おおむね年内に」であれば、次回の委員会までどうして待てないことがあるでしょう。
 結局、正副委員長の意向もあり、11月24日に陳情審査を行うが、審査に先んじての公募もやむをえないということで了承しました。私も残念ですが、陳情の審査が終わらぬ先に手続きが進んでしまう事態に、陳情した皆さんもきっとほぞをかむ思いをしたのではないでしょうか。
# by ikejiriseiji | 2005-11-09 00:10 | 文化・生涯学習 | Comments(0)

学校アスベスト その2

 2003年の夏休みが終わり、新学期に入ってからも視察は続きました。なかでも、O小学校の様子は、深く印象に残っています。
 授業が終わり、子どもたちがいなくなった教室に、担任の先生が残って残務の整理をしていました。校舎の最上階、6年生の教室です。先生と一緒に天井を見上げ、その荒れた様を確かめ、言葉が出ませんでした。先生がおっしゃるには、「去年の6年生は本当に荒れていて大変だった」と。この学校は、ほぼ全教室にアスベストが吹き付けられたままになっていましたが、際立って状態が悪かったのがこの6年生の教室でした。子どもたちのことは、もちろん、大いに気になりました。でも、それと同じように、あるいはそれ以上に、先生たちのことも心配です。この教室に、毎日、一日中、何年も居続けてきた先生たち。あるいは、おそらくはアスベストのほこりが舞う体育倉庫で、マットの出し入れをしてきた先生たち。
 アスベストに特有の疾患である「中皮腫」の患者1285人余の職業歴を調べたら、教師が36人も含まれていたという調査結果もあるそうです(富山医科薬科大・村井助手 朝日新聞7/21)。このすべてが学校でのアスベスト暴露によるものかどうかはわかりませんが、とても怖い数字です。
 練馬区の小中学校にむき出しになっていた吹き付けアスベストは、昨年度までに全部、除去されました。国や他の自治体に先んじて除去に踏み切った区の努力は多としますが、しかし、除去するまでに何十年にもわたってアスベストを吸い続けてきてた人がいることを忘れるわけにはいきません。
# by ikejiriseiji | 2005-11-07 16:33 | 教育 | Comments(1)

学校アスベスト その1

 アスベスト禍が大きな社会問題、政治問題になる中、2002年から03年にかけて、「学校アスベストを除去せよ!」と、届きそうもない声を枯らして叫び続けたころのことを思い出します。学校アスベストの問題を本にしようという話があると知り、当時のことがまざまざとよみがえってきました。
 2年前の8月、区がようやく全校の実態調査を終えたのを受けて、私は現場調査に入りました。回った学校は、10校をゆうに超えます。そして、現場の実態は衝撃的でした。アスベストを吹き付けた天井は、子どもたちのいたずらで、あるいはそれと知らぬ配管や電気業者の工事で、無残にはぎとられ、傷だらけ、穴だらけ。しかもそれが、体育館で、体育倉庫で、特別教室で、普通教室で、いたるところで見つかるのです。

b0017546_23572474.jpg
 写真は、ある中学校で、工事業者によって傷つけられた吹付けアスベストです。きっと、マスクもしないで工事をしたのでしょう。工事を発注した区自身が、吹付けアスベストであることを自覚していなかったのですから。
 しかし、天井から舞い散るアスベストの粉を吸ったのは、もちろん業者だけではありません。楽しそうにほうきの柄を天井に突き立てていただろう子どもたちは?荒れた天井の下、何年も教壇に立ち続けた先生は?みんな、大丈夫でしょうか…
# by ikejiriseiji | 2005-11-07 00:00 | 教育 | Comments(0)
縁があって、社会事業大学の「学祭」に行ってきました。もともと事実上の「単科」大学なので学生の数も多くはなく、「学祭」といってもこじんまりとしたものですが、そのぶん、一人ひとりの学生の顔がよく見え、声も、動きも柔らかな、とてもやさしい空気の「学祭」でした。
清瀬市の大学がある一帯は、まだまだ豊かな緑が残り、武蔵野の広々とした風景が残っています。おりから立冬を間近に控えた時期、樹木は色づきを深めるさなかで、しかもその色色の多彩なこと。暖かで穏やかな日差しが色づいた木々のあいだから差し込んで、癒される時間と空気を味わうことができました。
「学祭」といえば、私が大学にいたころは、まだ政治的なスローガンを大書した立て看がならび、社会的な関心と熱気がくすぶっていたものです。あたりまえですが、その頃とはずいぶんと変わりました。でも、今日、感じた学生たちの空気は、無関心でも無気力でもなく、保守的な気風でもありませんでした。
やわらかさは、いろんなものを受け入れ、包み込むことができる。今日の日差しのような暖かさは、何かを育てることができる。学生生活も、大学を取り巻く環境も、きびしく、めまぐるしく、過酷でさえある社会とはどこか隔絶しているけれど、だからこそ時間をかけて、じっくりと育てられるものもある。
もっともっと目を見開いてほしい。もっともっと知ることに飢えてほしい。やさしさに、すり切れない強さを織り込んでほしい。月並みかもしれませんが、期待したい、と思ってしまいました。
b0017546_021670.jpg

# by ikejiriseiji | 2005-11-06 00:06 | 雑感 | Comments(0)

「歌」の力

10月20日に、「愛・街・平和 シャンソンの夕べ」を主催しました。歌は水樹ユキさん、ピアノは藤原和矢さん。ゆめりあホールが文字通り“立錐の余地のない”ほどで、すてきなコンサートになりました。
よい歌には、生活が、生活する人々が、人々のたたかいが深く、熱く刻み込まれている。よい歌を通して、人は、時代や場所を越えて、共感を通わせ、空気を共有することができる。歌によって、私たちは、自分の生きる世界と自分の時代の空気をつかみ直し、見つめ返すことができる。そんなことを、ずっと思ってきました。そして、今回のコンサートで、そのことを強く、確信し直しました。世界中で、さまざまな時代に、歌われ、叫ばれ、ささやかれた歌。戦争を憎み、愛する人をいとおしみ、生まれ育った故郷をしのぶ歌が、まるでわがこと、わが時代のように響き、訴え、共鳴してきます。
 ダムの底に沈むふるさとを歌った「水の底に沈んだまち」
  子どもたちへの深いやさしさにあふれた「子どもを抱いて」
   19世紀後半、パリコミューンの記憶とともに歌い継がれた「さくらんぼの実る頃」
    痛切な非戦・反戦の歌「リリー・マルレーン」と「脱走兵」
     北アイルランドの“血の日曜日事件”をきっかけに生まれた「私の愛した街」…
録音を、また、聞き直しています…。最後は、皆で歌った「ケサラ」
抑え切れない怒り/こらえきれない悲しみ
そんなことの繰り返しだけど/決して負けはしないさ
僕たちの人生は/平和と自由もとめて/生きていけばいいのさ

# by ikejiriseiji | 2005-11-03 23:16 | 市民の声ねりま | Comments(0)

「リタリン」という薬

「リタリン」という薬を知っていますか。
「向うつ薬」に分類される薬で、依存性が強く、東京都なども乱用薬物の一つとして注意を喚起している薬です。この薬の製造元が、こんな「適正使用のお願い」を出しています(1999.10)
リタリン錠・散は中枢神経興奮作用を有する塩酸メチルフェニデート(第一種向精神薬)の製剤で、本剤の連用により薬物依存を生じるおそれがあることから、慎重にご使用いただいていることかと存じます。また、最近、マスコミでも取りあげられました注意欠陥/多動性障害(ADHD)等のいわゆる小児の行動異常に対する本剤の使用は、承認されている「効能又は効果」の範囲外であります。

このリタリンが、ADHDなどの子どもたちに多用されている事実に、今、驚かされています。
飲んでいる子どもたち、飲ませようかと迷っているお母さん、お父さん、飲ませてもらいたいと感じている学校の先生、ちょっとだけ立ち止まってみませんか。
薬を使えば、確かに落ち着くかもしれない。薬を使えば、確かにトラブルは減るかもしれない。薬を使えば、確かにストレスから逃げられるかもしれない…でも、体を壊したら、心が崩れたら、大変です。大丈夫ですか。
学校は学校らしく、薬よりも支援を。抑制よりも受入れを。議会で「リタリン」のことを取り上げました(ホームページhttp://www.ikejiriseiji.net/を見てください)。これからも取り上げます。
# by ikejiriseiji | 2005-11-02 23:50 | 教育 | Comments(1)

人を見捨てる重さ

 ある障害児が、学童クラブへの入会を拒否されました。両親が働いているという点では、健常児とまったく同じ、いや健常児以上に支援を必要としているのに、障害があるという理由で特別な枠をはめられ、そして障害の程度が区の認める範囲でないからと選別される。
 障害が軽くはないといっても、少しばかりの手厚い体制と少しばかりのふくらみのある大人の目があれば、きっと障害のない子どもたちと楽しく遊べただろうに。
 そしてそんなクラブ生活が、その子にとってもきっと大きな刺激となっただろうに。
 そして何より、お父さんもお母さんも、日々の不安からとりあえずは解放され安心して仕事を続けることができただろうに。
 一人の子どもの大切な何年間かと、ひとつの家庭の大切な支えとなるはずの学童保育を、切り捨ててしまった練馬区。酷なことをします。どんなに切実で痛切な支援を必要とする区民であっても、役人にとって、結局は他人事なんだ、とはき捨てるような台詞が思わず口をついてしまいます。人のいのちと、人の生活の根底を左右しているのだという、大きな責任と重い覚悟が、区の中からどんどん失われているように思えてなりません。
# by ikejiriseiji | 2005-11-01 22:16 | 子育て | Comments(1)

白子川源流まつり

30日は、白子川源流まつり。東大泉の井頭公園には、たくさんかの子どもたち、たくさんの市民。水、畑、緑の樹木…。ここが23区とはちょっと思えないすてきな空間と時間でした。主催したのは、「白子川源流・水辺の会」。大雨のときは湧水を圧倒する下水管からの汚水と格闘し、渇水のときは日に日に狭まる水場に身を寄せ合う魚たちを身を挺して守り、しかも水と川を通して人をつなぐ地道な活動に「敬意!」。それにしても、あの「黒めだか」、わけてほしかった…娘を連れて行くんだった、と今頃悔やんでいます。
b0017546_2231097.jpg

# by ikejiriseiji | 2005-10-31 20:13 | 緑・まちづくり | Comments(0)

練馬区議会議員・池尻成二


by ikejiriseiji
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31